出張・旅行記 途上国滞在記

号外!バングラ通信特別号!~旅と文化~

2007年3月16日

さてバングラである。今回僕は旅人である。かつてバングラで生活していた人間が旅をしている。
地下水による砒素中毒患者の救済と対策を柱に活動しているNGO『アジア砒素ネットワーク(本部・宮崎市)』で一年間ボランティアスタッフとして身を置かせてもらっていたのが2003年9月から2004年8月。帰国して約2年半が経った。
3年半前に「リアルな何か」を求めバングラに来たときは一日一日が刺激に溢れ、いつも何か「ガツン!」と脳を揺さぶられるようなことを経験していた。当時はいろんなことに奔走し、言葉の問題、価値観の問題、いろんなプレッシャーの中、精神状態は必ずしも良くなかったと思う。今回はなんとか職も見つけ、気楽な雰囲気漂う24歳フリーター(大学5年、一年プラプラ。立派な親不孝者)である。今回の旅行でかつて味わっていた感覚をもう一度味わえる、そして何か新しい発見がある、そういう淡い期待を持っていた。
だがしかし、なぜか今回は以前強く感じていた「オレはバングラデシュにいる!」という感覚が全くしない。誇張ではなく、本当に感じないのである。街を散歩しても、リキシャに乗っても、カレーを食べても、だ。言葉を話せるということも関係していると思うけど、まだ「ガツン!」という衝撃がない。むしろこんなに旅のしやすい国だったのかとさえ、思っている。言葉を話せれば皆優しいし、親切だし。何よりまだ嫌な気持ちや、頭にきたりすることがただの一度もない。あんなに毎日怒りを覚え、何か衝撃を受けていたバングラデシュで、ただの一度もだ!あんなに虚勢を張っていたバングラデシュで、日本にいる普段の僕のままで立っている。とても不思議な感じだ。
おそらくそれは僕が旅行者という立場であるということも関係しているのだろう。何もぶつかることなく通り過ぎていける立場だからだ。とても気楽なのだ。そしてきっと今の僕の「リアル」はここに存在しないのだろう。僕が今覚悟を持って生きている場所はきっと他の場所にある。
ただそこにいるだけで何か刺激をもらえる、その段階を僕はやっと通過した。もうバングラは僕にとって「刺激的で特別な国」ではなくなった。しかし決して「普通の国」ではない。それを実感できた今回の旅行は、とても良い機会となった。もちろんこれからもバングラデシュとの関係は続く。次は自分の育ったこの日本で、僕はもがくのだ。
終わり
Pictures part2
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①ダッカのニューマーケット前。
②映画の宣伝。レトロとはこういうものを言う?
③ベッドカバーなどを売るお店。このように広げて見せてくれる。
④ダッカ大学のちかくで。手相をみる商売。バングラでも占い等が流行っている?
⑤グルシャンにある、建設が放棄されたビル。老朽化で崩壊したらと思うと恐い。
⑥ダッカで僕がよく使う、天然ガスで走るタクシー。通称「CNG」
⑦シュンドルボンでの撮影。ベンガルトラの足跡?らしい。
⑧カニが作る芸術。
⑨マングローブの中を船は進む。
⑩突如現れたボシュンドラマーケット。近代的なデパート。
⑪ポッダ川(もとはガンジス川)の川辺に作られているセメント工場。
⑫ダッカ大学の入り口で学生たちを待つリキシャ。
⑬ダッカの風景。

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